今回のお題は10月(カンナヅキ)です。以下、インターネットフリー百科事典のwikipediaから抜粋。
http://ja.wikipedia.org/wiki/10%E6%9C%88
10月(じゅうがつ)はグレゴリオ暦で年の第10の月に当たり、31日ある。
日本では、旧暦10月を神無月(かんなづき、かみなしづき)と呼び、現在では新暦10
月の別名としても用いる。「神無月」の語源として以下のような説があるが、いずれにしても「神無」は宛字としている。
* 醸成月(かみなんづき): 新穀で新酒を醸す月
* 神嘗月(かんなめづき): 新嘗(にいなめ)の準備をする月
* 神な月(かみなづき):「神の月」の意
* 雷無月(かみなしづき):雷のない月
一般には、出雲の出雲大社に全国の神様が集まって一年の事を話し合うため、出雲以外には神様が居なくなる月の意味と言われており、出雲では神在月という。詳細は神無月を参照。
英語での月名、Octoberは、ラテン語表記に同じで、これはラテン語において8を意味するoctoの語に由来しているのに不一致が生じているのは、紀元前153年に、それまで3月を年の始めとしていたのを1月を年の始めとすると改めたにもかかわらず、名称を変えなかった為であり、7月と8月にローマ皇帝の名が入ってずれたというのは俗説である。[要出典]これは7月がガイウス・ユリウス・カエサルによってJuliusに改められる以前はQuintilisといい、これがラテン語における「第5の」という意味の語quintusに由来していて、既にずれが発生していたことからもわかる。
引用ここまで。
神無月は出雲で神様の会議があってー
と言う説を何となく鵜呑みにしていたのですが...宛字なんですか?
日本国内の神様は神無月になると出雲の国へ出かけてしまうため、
神の無い月、神無月と呼ぶ。
逆に神の集まる出雲の国では神在月と呼ばれる。
これで、出雲の国でも神無月だったら
「おいおい」
とツッコミを入れてしまいそうですが...(笑)
何となく一貫性があるのでそのまま信じてしまいました。
取りあえず参照先である神無月の項目も覗いてみました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%84%A1%E6%9C%88
以下引用です。
「神無月」の語源には諸説ある(10月を参照)が、「神無」は宛て字である。
しかし、「神無」という宛て字から「神のいない月」という解釈が広く行われるようになった。
すなわち、出雲大社に全国の神が集まって一年の事を話し合うため、出雲以外には神がいなくなる、というものである。
実際、出雲では旧暦10月を神在月(かみありづき)と称している。
ここから逆に、「神のいない月」が神無月の語源であるとする説も根強いが、
これは中世以降、出雲大社の御師が全国に広めた説であり、「神無」の宛字から生まれた附会である。
引用ここまで。
結局何が正解なんでしょうか?
ここで、もう一つ、「無」の字が使われている水無月の事を思い出してみましょう。
抜粋します。
逆に田植が終わって田んぼに水を張る必要のある月「水張月(みづはりづき)」「水月(みなづき)」であるとする説も有力である。
他に、田植という大仕事を仕終えた月「皆仕尽(みなしつき)」であるとする説、
水無月の「無」は「の」という意味の連体助詞「な」であり「水の月」であるとする説などがある。
田に水を張る月である水無月は「水の月」と言う解釈となり、
無は「の」という意味の連体助詞の「な」宛字である。とあります。
日本における農業の重要性がそのまま暦に反映されていた事は充分に考えられますし、
同様のネーミングルールによって神無月の名が付いた。
つまり、神無月は「神の月」と言う説が正しい。
と言うことも考えられなくはない話です。
いくら考えたところで真相は闇の中...
でも、こうやって昔の人の考えを考察してみるのって少し楽しくないですか?
10月はー、自動販売機のー、売上がー、急激にー、落ち込む月ー
...orz